大正時代のカステラ工場
大正時代から昭和初期のカステラ工場。
昔の製法では、ひと窯焼くのに約1袋の炭が必要だった。

時は元亀二年(1571年)、室町時代の終わり、世界は大航海時代の真っ盛り。開港したばかりの長崎港に、遥か遠くの西欧から、交易を求め、初めてポルトガル人が上陸しました。現代でも日本中に有名な長崎の銘菓カステラは、この頃に日本へ伝わったと言われています。
当時カステラはスペインに古くから栄えたカスティラという王国のパンとして長崎の人々に紹介されましたが、やがてその由来となる名前だけを残し、長崎で作り続けられていったのです。

引き窯
炭を使って焼いた、昔の焼窯。上下に炭を入れ、中に水入りの缶の水温で窯の温度を計った。

以後長崎は、華の江戸時代を経て激動の幕末に至るまで様々な外国文化が流れ込み、日本中の憧れの土地として栄えることになるのですが、長崎の銘菓として独自の進化を遂げたカステラはその時代の様々な場所で人々に愛され、甘く床しい逸話が今も伝えられています。有名な幕末の志士・坂本龍馬が慶応三年(1867)に長崎で組織した「海援隊」の日誌には、カステラ仕様の項目が残されています。「正味、玉子百目、うとん七十目、さとふ百目。此ヲ合テヤク也、和蘭実方・・・・・・」海援隊の隊士たちとともに、カステラをほおばる龍馬の顔が目に浮かぶようです。

松翁軒の歴史は江戸の中期天和元年(1681)、長崎市の本大工町に初代山口屋貞助が店を構え、砂糖漬けやカステラを作り始めたことに始まります。その後歴代、菓子づくり一筋に精進を重ねて三百余年。文久年間(1861)飾菓子の名人として知られた七代目熊吉の時、国学者中島広足により「松翁軒」の命名を受け、能面の翁を店印としました。綿のようにやわらかにして、風味はしっとり、口に含むと、円やかなり・・・・。松翁軒の歴史はそのまま長崎カステラの歴史でもあります。

松翁軒 チョコラーテ

また明治の中頃、研究熱心な八代目貞次郎は当時珍重されていたチョコレートに心を魅かれ、先祖伝来のカステラにチョコレートの味を加えてみました。松翁軒では70年の時を経て、1968年苦心の末にこれを復活、「チョコラーテ」として皆様にご愛顧をいただいております。
口に含めばトロリととろける口当たりの良さが本場長崎カステラの特徴。創業当時より伝承されるカステラ作り、元祖・松翁軒のカステラを、どうぞ心ゆくまでご賞味ください。

皆様のお越しを、心よりお待ちしております。

長崎 松翁軒 チョコラーテ
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