カステラのある風景

松翁軒 漱石と猫とカステラ

我輩は猫である。名前はまだ無い。
主人も我輩をモデルにして初めて小説といふものを書き、性の悪い牡蠣の如く書斎に吸ひ付いて居つたのが急に一個の新面目を施したのであるから、名前位つけて呉れてもよささうなものだが、一向に其様な気配もないのは、兎に角面倒な事が厭なのである。
カステラと云へば、主人が用事で京都へ出かけたときだ。序に見物もし、東本願寺では俳句もやるといふ管長からカステラを貰つた。当夜の日記を覗いて見ると下の様に書いてある。
 ○帰途カステラを包んでくれる。
  カステラを入れる所なし。
其処からは人力車で東寺へ廻つた。絵馬堂には茶見世が出て居た。
 ○五重塔を春の温かき空に仰ぐ
  カステラを抱いて徘徊す
どうせ茶事で出たカステラを懐紙にでも包んで呉れたものだらう。鼻の下の黒い毛を撚りながらカステラ一つ持て余して居る容子を想像すると可笑しくもあり、些と気の毒でもある。
主人とカステラの話は、大病の最中カステラを欲しがつたり、カステラの妙な当字を考へついたりと他にもあるが、主人の文章と我輩のとを掻き交ぜて書きつけたこんなものが見付かつたら「此馬鹿野郎」と怒鳴られるのが落ちだ。剣呑々々。此辺で止めて置く事にし様。

夏目漱石 なつめそうせき
慶応3~大正5年(1867~1916)

東京生まれ。本名、金之助。東京帝国大学英文科卒。生まれた翌年が明治元年。明治日本の欧米化と近代化の渦中に生きて、2年間の英国留学を含め、悩める知識人としての生涯だった。処女作『我輩は猫である』に始まって『坊ちゃん』『草枕』『虞美人草』『三四郎』『それから』『こころ』、中断のままの遺作『明暗』まで数多い作品で、森鴎外と並び立ち明治近代文学の二大巨峰を形成する。
大正5年12月2日、持病の胃潰瘍から大内出血を起こし9日死去。遺体は文学の弟子であり主治医でもあった長与又郎によって解剖され、脳はいまも東大医学部に保管されている。

夏目漱石 なつめそうせき
松翁軒 一葉のカステラ、かしこ

明治二十九年、樋口一葉、二十四歳。
この年、年の明けから一葉はせっせと手紙を書いている。手紙?実は手紙の見本。大手出版社博文館から婦人向けの模範手紙集を書かないかと話があったのだ。
すでに「たけくらべ」で新人作家として名を出しはじめている一葉だったが、結核の病身をいといながら、半紙を四つに折って何度も何度も下書きをした。
「春雨ふる日友に」と題された一通がある。

 うぐいすの声がする、あなたはお寝坊さんだけどいかが?
 柳の糸も濡れているでしょうね。人恋しくて、カステラ添えてお手紙します……。
 手製のかすていら折からの御慰みにもと進じ候
 笑はせ給へや かしこ

返事の例文も、手づくりのかすていら「是れはどのやうに焼き申すもの」ご伝授くださいな、ほんとにお加減お上手……。
でも実際には―一葉にはカステラを焼く楽しみはもう残されていなかった。
この五月、『通俗書簡文』は刊行された。
この年十一月、一葉は亡くなった。

樋口一葉 ひぐち・いちよう
明治5~29年(1872~1896)

東京生まれ。本名、なつ。八丁堀同心であった父は警視庁に勤務、退職後事業に失敗し負債を残して死亡すると、母、妹をかかえて一家の生計は一葉の背にかぶさった。『にごりえ』『十三夜』『たけくらべ』などの名作の哀感の切なさは、生涯逃れることのできなかった貧窮と切り離しては考えられない。首席で通した小学校は中退。14歳で中島歌子の萩の舎に入塾、和歌、書道、古典を学び、精神と文学の形成に大きな影響を受ける。明治文学に占める地位は死後に定まった。早過ぎた死から半世紀後の昭和26年、女性初の文化人切手となる。その半世紀後の平成16年、五千円札の顔となる。

樋口一葉 ひぐち・いちよう